事実に近づくデータの積み重ね:私たちは関係性の中でしか事実を認識できない

事実に近づくデータの積み重ね:私たちは関係性の中でしか事実を認識できない

「事実」と「真実」の違いを、皆さんご存知でしょうか?

辞書的には似たような意味合いですが、実際の定義としては以下のようです。

  • 事実:出来事を客観的に見たもの。人によって変わらない。
  • 真実:出来事を主観的に見たもの。人によって変わる。

なので、某マンガの「真実はいつもひとつ」というのは、コ◯ンの視点から事件を見たときに「犯人はお前だ!」ということになります。
(こんな事を言うと嫌われるそうです)

会社で誰かが昇進した際、「なんであいつが!?」というネガティブな意見がでることがあります。
昇進した人は、リーダーシップを取っているし、見た目も華やかだった場合、その人を知らない人は、その人の目立っている姿しか観ていないことがあります。
しかし、その裏で大きなプレッシャーを日々受け、管掌外のこぼれたボールも拾い、非協力的な部署も動かし、社運をかけたプロジェクトを完遂したからこその昇進だったと知っていたら、そんな反応はしないでしょう。
それでもなお不平不満を言う人の多くは、「じゃあ、おまえもやってみろ」と言われても何もできません。

私たちは、昇進という客観的な事実を、自分の知り得ている世界の中の真実としてしか観られないので、人によって称賛したり批判したりということが起きるのです。

認識できない事実

とすると、私たちは事実を認識することはできるのでしょうか?

歴史ですら、時代や国によって認識は異なります。
そもそも、王朝が交代する度に歴史は書き換えられてきました。
教科書で教えられていることは、現在の政府にとって真実の歴史でしかありません。

私たちは知らないことは認識できません。
また、経験や信念、その時の気分や体調などによっても、出来事の受け止め方は変わってきます。
私たちはどんなに頑張っても、真実としてしか出来事を認識できず、事実を観ることはできないのです。

カルロ・ロヴェッリ氏の『世界は「関係」でできている』では、事実に必要な客観性を、二人以上の間で同意が成り立っている間主観性の上に立脚していると説明しています。
つまり、各々の主観の集積、共通認識によって客観性が作られ、その範囲において事実が作られるのです。
そこに新たな情報が加わると、今まで事実だったものは簡単に真実に変わってしまいます。

私たちが認識できる事実は、あくまでも私たちの共通認識の上に成り立つ狭義の事実であり、共通認識を超えた事実を認識することはできないのです。

事実を形作るデータ

なんか話が大きくなってしまいましたが、共通認識の上に形作られるのが事実とするならば、私たちが行わなければならないことはデータを集めることです。

スティーブン・R・コヴィー博士の『7つの習慣』には「自分の経験したことしか手元になければ、データ不足であることは明らかである」とし、「もっとデータを集めましょう」と説いています。

データを集めることで、これまで知らなかったことや認識違いをしていたことに気づけます。
自分の真実の枠が広がり、より客観性を増すことで事実に近づいていけます。

人間関係においては、自分と相手との間にある真実の差を埋めるために、まずは相手の真実を知り、理解することが必要です。
何が同じで、どれが違う情報なのかを確認しながら、違う部分をすり合わせて行くのです。
そうしてお互いの共通認識を増やすことで、そこに間主観性が生まれ、二人の間の事実が作られていきます。

もちろん、なんでもかんでも集めて受け入れれば良いというわけでもありません。
情報の質は大切です。
自分で見聞きできないモノは、できるだけ1次資料に当たるようにしましょう。
2次、3次と誰かの解釈が間に挟まれば挟まるほど、解釈した人にとっての真実が反映されます。
なので、情報の出どころには気を付ける必要があります。

また、1次資料を参照できたとしても、その情報が正しいとは限りません。
最近はYouTubeやネットのみで情報を得て、あたかもそれが正しいように語る人がいますが、それらの多くは第三者のチェックを通っていない主観の塊でしかありません。
(もちろん、このブログもね)
多くの人のチェックが入る書籍や、できるだけ多角的に複数の視点からデータを集めることが大切です。

また、自分がどう解釈するかも重要になります。
判断するに足るデータが集まっているのかは常に気にかけておく必要があります。
時には少ないデータで判断をしなければならないでしょう。
その場合でも、これまでの知識や経験が正しい判断へ結びつく鍵になります。
そういう意味でも、常日頃から本を読んだり人に会ったりして、データを集めておくと良いでしょう。

データを集めることは、今すぐできる努力

データを集めることに、あまり真剣になりすぎる必要はありません。
伊藤守さんは著書『3分間コーチ』の中で、以下を行うことで極力短い時間でも部下を知り、マネジメントできると書かれています。

  • 部下について考える時間をとる
  • 部下と的を絞った短い会話をするための時間をとる


ほんの少しの時間を使うことで、常日頃からデータを集められます。
ここで大切なことは、やはり相手をまず理解すること。
『7つの習慣』の第5の習慣も「まず理解に徹し、そして理解される」と、理解することを先に置いています。
そして、それは私たちの努力の範囲なのだと説いています。

相手を理解する努力なら、いつでもできる。これならば、あなたの力でどうにかできる。

『7つの習慣』

相手を理解できるかはわかりません。
その先で、相手に理解してもらえるかもわかりません。
しかし、相手を理解しようと努力することだけは、誰にも邪魔されることなく、あなたの意思一つでできます。

あなたの真実を周囲との事実にするために、まずは相手を理解する努力から始めてみましょう。


夫婦関係においても、自分の真実でしか相手を見られずに、「夫は、妻は、」と不満を漏らすことはあるでしょう。
しかし、そこで語られることが事実であることは稀です。
確かにその一面はあるかもしれませんが、それが全てでは決してないはずです。

共感による傾聴の大きな強みは、正確なデータを得られることである。

『7つの習慣』

『7つの習慣』で紹介されている「共感による傾聴」を行うことで、ある一面しか見えていなかった状況から、事実を作り上げるために必要なデータを正しく得ることができます。
しかし、それを行うには自分の中に芯となるものが必要です。
これが無いと、自分の見方に固執したり、自分の主張を通そうとしたり、自分を擁護したりと、気づくと相手の話を全く聞いていない状況に陥ってしまうからです。
そのために『7つの習慣』では「相手を理解する」という習慣を後半に持ってきています。
それまでの習慣で、自分の中に確たる芯を作り、相手を理解するマインドを作っていきます。

『7つの習慣』は西洋医学ではなく東洋医学、西洋薬ではなく漢方薬です。
効き始めるには時間がかかりますが、人生の様々な症状を癒やします。
そして、時間をかける分だけ、学び終わってもその効果は長く持続します。

今現在解決したい人生の課題を抱えている人も、今後も人生をより豊かにしていきたい人も、今から『7つの習慣』を学び始めましょう。
「木を植えるのに最も良い時期は20年前。次に良い時期は今である」です。

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